「どのロットに使ったか、わかりません」——最悪のシナリオ
取引先から「納入部品に寸法不良が見つかったので、対象ロットを確認してほしい」と依頼される場面を考える。これは記録の必要性を考えるための仮想の問い合わせだ。
工程ごとの記録が残っていても、原材料ロット・製品・出荷先の対応が不明なら、調査に必要な範囲を追いにくい。記録の検索に要する時間と、対象を漏れなく確認できるかを実際に試しておく。
記録で確認できたことと、品質・安全への影響が未確認の範囲を分けて、判断する担当者へ引き継ぐ。
ここで区別したいのは、記録から追える範囲と、回収すべき範囲だ。不良が確認された製品を識別できても、同じ材料・設備・製造期間の他の製品に影響がないとは限らない。追跡記録は調査対象と出荷先を把握する材料になるが、回収範囲は品質・安全上の影響調査と適用要件に基づき、責任者が判断する。
この記事では、製造現場のトレーサビリティについて「何のために記録するのか」「何を記録すれば十分か」「どうデジタル化するか」を、現場目線で整理する。
トレーサビリティとは何か
トレーサビリティ(Traceability)とは、対象の履歴・使用先・所在を追えることだ。製造現場では、追跡目的や法令・顧客要求に必要な記録を選び、原材料、工程、製品、出荷先の対応を維持する。任意の全条件を無差別に記録することが定義ではない。GS1の追跡設計資料も、対象の識別、データ取得、共有を分けて整理している。
英語の trace(追跡する)と ability(能力)を合わせた言葉で、日本語では「追跡可能性」と訳される。製造業では「ロット追跡」「製造履歴管理」とも呼ばれる。
トレーサビリティには2方向の追跡がある。
- 川上への追跡(トレースバック):対象製品に、どの原材料ロットや工程条件が関わったかをさかのぼる。記録上の関係だけで原因と断定しない
- 川下への追跡(トレースフォワード):調査対象の原材料ロットがどの製品に使われ、その製品がどこへ出荷されたかを追う
不具合調査では、この2方向を組み合わせ、関係する製品・在庫・出荷先の漏れを調べる。追跡単位を細かくするだけで、原因や回収対象が自動的に確定するわけではない。
法令・規格・顧客要求を分けて確認する
同じ「記録が必要」でも、対象品目、事業者の立場、記録単位によって要求は異なる。国内制度の例は次のとおりだ。
- 食品:食品衛生法第3条第2項の仕入元等に関する一般的な記録の作成・保存は努力義務だ。一方、牛・対象となる牛肉、米・対象となる米加工品には個別のトレーサビリティ制度による記録等の義務がある。農林水産省の制度説明で対象を確認する。食品の衛生管理など、別に求められる記録まで任意という意味ではない。
- 医療機器の製造・製造販売:QMS省令第40条第2項は、各ロット(ロットを構成しない場合はその製品)の記録を規定している。第48条では対象の製品・構成部品ごとに追跡範囲と記録を定め、第49条では植込医療機器について追加の記録を扱う。限定一般医療機器等には但書や適用除外があるため、自社の区分・担当業務から確認する。「医療機器は全て、個体シリアル番号で一律に履歴管理する」とはまとめられない。
- 医療機器の販売・貸与:製造時の履歴とは別に、対象の機器・取引に応じた譲受・譲渡の記録がある。厚生労働省の取扱通知の第1・6は、高度管理医療機器等の販売業者等について製造番号「又は」製造記号を挙げ、販売先による扱いも区別している。表示された番号だけで、必要な履歴がそろったとは判断しない。
- 規格・顧客との契約:IATFの公開参照表(MAQMSR 2017、表1・1.5)には識別・追跡の分野がある。ただし、この参照表は規格本文の代用ではない。取引先が指定する適用版・顧客固有要求から、識別単位、保存期間、提出内容、回答期限を確認する。
これらは制度の入口であり、自社への全要件一覧ではない。国内外の仕向地と品目・業態をそろえ、品質・法規担当と適用条文や通知を確認して記録仕様に落とす。要求が増えているという一般的な印象だけで、特定システムの購入を必須にしない。
川上から川下までのデータの流れ
製造のトレーサビリティは、原材料の受け入れから製品の出荷まで、工程をまたいで記録をつなぐことで成り立つ。
川上〜川下のトレーサビリティデータ流れ図
各段階のIDと記録の対応を残す(記録項目の例)
※材料・製造・出荷で番号が異なる場合も、ID同士の関係を記録して双方向にたどれるようにする
重要なのは、番号を印刷することだけでなく、現物と記録、工程間のIDが対応していることだ。受入ロットと製品ロットを同じ番号にする必要はないが、対応が不明になれば必要な追跡ができなくなる。紙でも電子でも、この点は変わらない。
分割・結合・再作業で関係を切らない
たとえば、材料ロットAを製品ロットB・Cに分けて使うなら、A→BとA→Cの関係を残す。Bに別材料Dも使えばD→Bも記録する。これは説明用の例で、ロットの区切り方は製品・工程と要求に合わせる。
| 場面 | 対応づけ・確認する情報の例 |
|---|---|
| 分割・結合、箱詰め・ばらし | 入力と出力のID、親の箱・パレットと子の製品ID、数量・単位、処理時刻。混合と単なる梱包を区別する |
| 再作業・部品交換 | 対象ID、再作業前後の工程・構成部品・結果、判定者。元の履歴を上書きして消さない |
| 検査・保留・出荷 | 未検査・合格・不合格・保留などの状態、判定根拠の版、解除や出荷を決めた人と時刻 |
| 未読・未入力・通信断・訂正 | 対象を識別して保留/再入力へ回す手順、重複・誤結合の照合、訂正前後と理由・実施者。空欄を合格扱いにしない |
製造・検査・物流・システムの担当で、誰が入力し、訂正を確認し、問い合わせに回答するかも決めておく。
記録項目を考える4つのカテゴリ
原材料・製造条件・検査結果・作業者情報は、製造中の記録項目を考えるための4つのカテゴリだ。全項目を一律必須とする一覧ではない。追跡目的に応じて選び、先ほどのIDの関係、数量、出荷先、状態の記録と組み合わせる。
トレーサビリティの記録項目マップ
「記録の粒度」をどう決めるか
記録する項目の数と、ロット単位・個体単位という識別の粒度は別だ。項目を増やしても、現物とIDの対応が不明なら細かく追えない。必要な識別単位はロット管理とシリアル管理の違いも参照して決める。
「問題が起きたとき、何が知りたいか」を先に決め、そこから逆算する。設備条件を調べるなら対象製品と条件値・設備ID・時刻を対応させ、作業状況を調べるなら担当工程・作業時刻・必要な作業者ID等を選ぶ。担当者を記録することと、その人に原因や責任があると判断することは別だ。記録の保存期間、閲覧・訂正権限、バックアップと復元方法も、必要な追跡期間と利用者に合わせる。
バーコード・QRコード・RFIDの使い分け
トレーサビリティを実現するには、「製品やロットを識別する仕組み」が必要だ。代表的な3つの技術の使い分けを整理する。
バーコード(1次元)
バーと空白の組合せを読み取る方式で、材料ラベルや作業指示書の識別に使える。記録全体をコードに入れず、IDをキーにして履歴を検索する構成も選べる。
- 選定条件:文字種・桁数・横幅は符号体系ごとに異なる。GS1-128など、使う方式のデータ形式と読取機の対応を確認する
- 読取条件:印字の太り/かすれ、汚れ・傷、ラベルの位置、読取距離・角度・移動速度を実物で試す
- 費用:ラベルだけでなく、印字機、読取機、データ連携、貼付・読取作業を含めて比較する
QRコード(2次元)
QRコードは、縦横のセルにデータを表す2次元コードだ。格納容量はバージョン・文字種・誤り訂正レベルで変わる。一次元コードとの容量比を一律に決めるのではなく、入れたいIDや属性と印字面積から選ぶ。
- 選定条件:複数の属性を入れるか、IDだけで外部の履歴を参照するかを決める。データを更新する場合の管理方法も合わせる
- 読取条件:誤り訂正機能はあるが、どの汚れ・破損でも読める保証ではない。セル寸法と印字品質、余白、照明・反射、距離・動きを実際の読取機で確認する
- 端末:スマートフォンやタブレットを使う案もあるが、カメラとアプリの対応、作業姿勢、所要時間、未読時の操作まで試す。小さいコードでも、必要なセル寸法と読取条件を満たすかで判断する
RFID(無線タグ)
RFIDはタグと読取機の電波による交信を使う。光学コードのように人が各表示へ照準を合わせずに読める構成もあるが、読取機との通信は必要だ。方式・周波数帯、タグとアンテナ、対象の向き・密集・移動、読取領域によって成立条件が変わる。
- 検討できる機能:電波を用いるため、バーコードのように印字面を見通す読取りとは条件が異なる。通過時の自動読取りや複数タグの読取りは、タグ・リーダー・配置・通信方式が対応する範囲で確認する
- 確認する制約:タグ、リーダー、設置、連携、保守を含む費用を同じ条件で比較する。金属・液体・周囲の電波環境、移動速度やタグの向きなどが読取りに与える影響を実機で試す
- 用途を選ぶ条件:製品・金型・治具・搬送など、必要な追跡単位と読取り条件を定め、欠落・重複・誤読への対応と要求された履歴を満たせるか確認する
デンソーエスアイのRFID説明も、金属や水分、周囲の設備、意図しないタグの読取を考慮している。金属・液体に対応するタグや取付方法もあるため、RFID全体を同じ条件で扱わない。対象タグの読み漏れに加え、領域外の読取や同じタグの重複を検出・照合し、未読の品物をどう保留・再処理するかまで決める。タグを読めたことと、必要な工程を完了したことも区別する。
QRコード+タブレットは、試行できる選択肢の一つだ。方式を決める前に、対象物、読取速度、環境、未読時の処理、連携先をそろえて比較する。費用はタグ/ラベルの仕様・数量・見積時点だけでなく、読取設備、ソフト連携、作業、保守まで含める。一般的な価格倍率をそのまま自社の見積りに使わない。
MESとトレーサビリティの関係
MES(製造実行システム)は、指図・工程・部品・検査等の記録を関連づける実装先の一つだ。SAPの製造実行教材にも、その構成例がある。ただし、導入するだけで全工程の記録が自動的にそろうわけではない。
自動化したい処理と、その成立条件をセットで要件にする。
- コード読取で対象IDを取得するなら、どの工程の開始/完了として登録するか、未読や二度読みをどう扱うかを決める
- PLC等の条件値を保存するなら、設備・製品ID・対象時刻・単位を対応させ、通信断や時刻ずれを確認する
- 検査結果を連結するなら、対象ID、検査項目・基準の版、結果・状態を対応させる
- 双方向に検索するなら、必要な材料・製造・検査・出荷の関係が欠けず、誤って結び付いていないことを試す。画面数や応答時間も要件として確認する
代表的なロット/個体について、受入→製造→出荷と出荷→製造→受入の両方向をたどり、元の記録と照合する。通常品だけでなく、分割・結合・再作業・未入力・訂正のケースを含め、結果の範囲・数量と回答までの時間を確認する。
MESのトレーサビリティ機能の詳細はMESとは何かで解説している。MESとPLC・SCADAのデータ連携についてはPLCとSCADAとヒストリアンの役割分担も参考にしてほしい。
MESなしでもトレーサビリティは整備できるか
できる。紙、表計算、データベース、専用ツールのいずれでも、必要な対応関係と記録の品質を保ち、要求時間内に検索できることを確かめる。件数、同時入力、訂正履歴、権限、復元などの条件から選び、媒体名だけで確実性や速度の優劣を決めない。MESを使わずに要件を満たす構成もある。
紙管理からデジタル化への移行ステップ
紙管理から移行する場合の進め方の例を示す。期間は対象工程数、既存の記録、連携、担当者、法令・契約上の期限に応じて計画する。各段階が一律に「1〜2週間」などで終わるとは見込まない。
ステップ1:現状の記録と要求を棚卸しする
どの工程で何を記録し、どの問い合わせに回答する必要があるかを書き出す。「記録なし」「作業者が覚えているだけ」「ID同士が対応しない」という穴を確認する。必要な保存期間と、過去記録を利用できる状態も押さえる。
ステップ2:識別単位とIDの対応を決める
製品・原材料・工程・箱など、識別する対象と番号の管理者を決める。採番の重複を防ぎ、取引先番号や旧番号との対応を残す。全工程で同じ番号を使うことより、番号が変わっても必要な関係を追えることが大切だ。
ステップ3:必要な追跡を保てる範囲で試す
記録の穴を埋める工程やラインを選び、実物の読取、入力負荷、未読・通信断時の代替記録、訂正・照合を試す。担当者が通常時と異常時の操作をできるかも確認する。部分導入中も、前後工程や紙の記録への対応を維持する。
ステップ4:つないだ記録で検索を検証する
必要な工程の連結を広げ、通常と例外のロットで双方向検索を確認する。旧システムに残る履歴も検索・参照できるようにし、二重登録や移行漏れを照合する。記録の欠落や誤結合があれば、処置と再確認の担当を決めてから範囲を広げる。
ステップ5:必要な自動化と運用を見直す
手作業の負荷、要求する検索時間、記録件数、連携・権限・保守の課題から、MES等の追加が必要かを判断する。購入を全案件の終点にせず、工程や製品、システムが変わった後も対応関係と検索結果を確かめる。
小さく試す方法は有効な選択肢だが、既に必要な追跡を途切れさせないことが前提になる。移行中の担当、代替手順、照合と承認の条件を計画に含める。
まとめ
トレーサビリティは、不具合調査に必要な履歴と関係する製品・出荷先を確認するための仕組みだ。記録から分かる関係と、原因や回収範囲の判断を分けて使う。
- 原材料・製造条件・検査結果・作業者情報から、目的と要求に必要な項目を選ぶ
- IDを付けるだけでなく、分割・結合・再作業・状態・出荷先との対応を残す
- コードやRFIDは、実際の対象物・環境・読取条件と例外処理まで検証する
- MESの有無にかかわらず、記録の品質と双方向検索を確かめる
- 法令・顧客要求を確認し、移行中も必要な追跡を継続する
まずは一つの問い合わせを選び、今の記録だけで必要な範囲と数量を確認できるか試す。整理した識別情報と記録の不足は、改善に使うデータ収集項目を決めるの取得条件・確認記録へ引き継げる。
このテーマのより深い内容は以下の記事で解説しています:
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ロット管理とシリアル管理の違い — トレーサビリティ設計の最初の選択